気楽な気楽な雑記帳Ⅱ

ほぼ昼行燈で細々と継続中

記憶

16年前の今日はまだ実家にいた。
朝、経験したことのない揺れで飛び起きて、その日はそのままTVから目が離せなかった。
 
住んでいた場所はほとんど被害はなかったが、
2日ぶりに交通機関が動いて会社に行ったときに
いわゆる激甚地区に住んでいた同僚たちが数名来ていなかった。
 
連絡手段がことごとく使えず、安否も何もわからない中で
バイクを持っている連中が水と食料を積めるだけ積んでそれぞれ音信不通の家に向けて出て行った。
 
結果的に身の周りでの直接の人的被害はなかったが、
それでもその身内が・・・という話はあった。
 
 
それから2週間ほどして福岡に出張する機会があった。
飛行機はキライなので陸路を選択した。
鉄道の不通区間は長い順番を待って代替バスで移動したので、
片道だけで往復以上できる時間が必要だった。
 
出発した大阪と到着した福岡はいつもと変わらない賑やかさだったが、
そのとき1.17以降に初めて見た神戸はTVで見た以上の光景が広がっていた。
当時はまだ物資が乏しいはずなのにあちこちに線香が立てられ、少しの供え物が置かれていた。
街をただ通過することに罪悪感を覚えた・・・
 
 
あのときの記憶が今どれくらい役に立っているのだろう?
この福岡だって数年前にかなりの被害に遭っている。
家の中を見ながら、「もし今来たら・・・」と考えてみると何もできていないことに気付く。
う~む・・・
 
いろいろなことが頭をめぐる1月17日、
被害を受けていようがいまいが関西人にとっては忘れられない日である。