気楽な気楽な雑記帳Ⅱ

ほぼ昼行燈で細々と継続中

古都散策②

豊国廟へは行ったものの、その麓にあったはずの本来秀吉公を祀ってある豊国神社はすでにない。
が、明治時代に近くには移転している。
せっかくなので行ってみた。
 
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  国宝 唐門。 見事である。
  さすが秀吉公を祀る神社らしい(苦笑)
  元をたどれば伏見城にあったんだとか…
 
 
 
  両脇に吊られたひょうたん型の絵馬が
  "いかにも"といったところである。
 
 
 
 
イメージ 4  扁額と横の彫り物も立派である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
とりあえず再度お参りをしてから、隣にある方広寺にも立ち寄ってみた。
 
 
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  方広寺と言えば何をおいても「梵鐘」である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 6  鐘楼には浄財を納めると入れる。
 
  ちょうど作務衣を着た女性が中を掃除していたので
  いろいろ話を聞きながら見学する。
 
  しかし近くで見るとデカい…
  (写真ではそう見えないが…)
  サイズもさることながら重量が約82tあるというから、
  自衛隊の10式戦車ほとんど2両分である!(笑)
 
  そんな鐘を吊っている鐘楼が木造というのもまたすごい…
 
 
 
 
イメージ 7  あまりにも有名な「国家安康」「君臣豊楽」の文字。
  これを見に来たのである。
 
  今は見学者のために目立たせてあるが、
  他にもものすごい数の文字が刻まれているのに
  よくここだけを見つけたものである…
 
  なんにせよ、このたった8文字が豊臣家滅亡への
  引き金になったのだから、歴史とは奥深いものである…
 
 
 
 
 
 
イメージ 8  その作務衣の女性が「どうぞ撮っていってください」
  と言うもんで勧められるままカメラ向けてはみたが…
 
  真ん中のぼやけた紋様は徳川への怨みのために
  淀殿の横顔が浮き出たものらしい…
 
  いいのか?こんなの撮らせて…
 
 
  ちなみにカメラ構えながら、
  「今、鐘が落ちてきたら生き埋めと同じになるなぁ…」
  ということが頭をよぎった…
  なんせ戦車2両分なので簡単に持ち上がらんし
 
 
イメージ 9  鐘楼の片隅にはかつてあった大仏殿の一部が
  無造作に(?)置かれていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 1  真ん中の破片は方広寺大仏の一部で
  唯一現存するものだそうである。
  ちなみに台座のハスの葉だとか…
  寛永通宝になるのを免れたということである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
歴史で出てきた有名なものを数多く見られるのは京都のいいところである。
 
そしてこの後さらに調子に乗ってウロウロしていくのであった…(苦笑)